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3年ぶりに秋田へ。母と行く予定だったけれどどうしても都合が合わなくて、結局ひとりで、そして日帰りで行くことになった。空港から車を借りて走る。時折雨がぱらつくようなくもり空だけど運転はしやすく、まずは市内市場に行って秋田らしい山菜や魚などを見ながらぶらついて食堂で早めのひるごはんをいただく。腹ごしらえができたらすぐに車に乗ってさらに北上し、祖母のいる介護施設へ向かった。 倒れてから右半身が不自由になり、祖母は数年前からここでお世話になっている。3年前に会った時より確実に意識がはっきりしているのに、祖母はほとんどの時間を夢うつつに過ごしていて話すこともない。家族はそんな様子を見て、ときどきわかる時もあるし、前よりわかるようになっていると言う。でもわたしはそんなふうに思っていなくて、ほとんどのことを祖母はわかっているのだと思っている。自分にとって大事なことにしっかりと反応するというのは、大事でないことが大事ではないとわかっているからできるのだ。お世話をしてくれる人が言うように、ずっと眠っているのはさみしいからでもあるし、今こうして自分の置かれている現実がとても辛いから。まわりを見ないでいることで、すこしでも痛みが和らぎ堪えていくことができているのではないだろうか。私にはそんなふうに思えてならない。帰り際に、また来るから、必ず来るから元気でいてねと声をかけると祖母は目をつむったまま、しかしはっきりと大きくうなずいてくれたのだ。 裏の畑は祖母の留守をてっちゃんが守ってくれていて、野菜たちがすくすくと育ちたくさんの花が競うように咲いている。バケツいっぱいの花を摘んでひとりお墓参りをした。そうだ写真でも撮っておこうと、持っていたカメラでシャッターを2回目に切ったとき、なにかがバチバチッと音をたてて閃光をはなった。帰って来て確認するとやっぱり何かが光ったらしい。おじいちゃんの歓迎の挨拶かしら? 派手なの、好きそうだからなあ。今回いきなり一人でくることになってしまって、いったいなんなの! と当初思っていたのだけど、あるときふと、これはおじいちゃんたちに呼ばれているに違いないと感じるときがあって、そのときから身の周りの色々なコトが歯車があったように回り出した。ほんのみじかい時間だったけれど祖母といたことで、よく生きなければいけないということを、とてもつよく、そして重みをもって感じた。
by zizis
| 2009-06-08 22:32
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